昭和52年12月16日 秋の大祭 前講 竹内正教
真の道の心得
一、神国の人に生れて神と皇上との大恩を知らぬこと。
一、天の恩を知りて血の恩を知らぬこと。
一、幼少の時を忘れて親に不孝のこと。
一、真の道におりながら真の道をふまぬこと。
一、口に真をからりつつ心に真のなきこと。
一、わが身の苦難を知りながら人の身の苦難を知らぬこと。
一、腹立つは心の鏡のくもること。
一、わが心の角でわが身を打つこと。
一、人の不行状を見てわが身の不行状になること。
一、物事に時節を待たず苦をすること。
一、まめな時家業をおろそかにし物毎におごること。
一、信心する人の真の信心なきこと。
皆様報徳祭おめでとうございます。本当に今日こそ何かこう本当に捨て身で前講を仕えさして頂けるような気が致します。あのう私が合楽に修行に入らして頂いたのは、4年前の1月6日の寒修行からだったわけですけど、本当にその時の今でも忘れられないのですけれど、あのう3月20日御理解が本当にあのう、もう心を揺さぶる様な御理解だった訳ですけど、その時のあのう教えで人力に見切りをつけ神力にすがれ人力自ずから湧くという、その詩を親先生が御神前だったと思いますが。
神様から頂いて、その感動そのものをあのう御理解頂いた事がありますけど。その人力に見切りをつけ神力に縋れ人力自ずから湧く、と言う生き方といいますかあのう本当にあのう、人力に見切りをつける程のあのう人力を限りを、尽くしてるのかという事が絶えず私自身のあのう信心の日々の信心しよるなかで、あのう絶えず問題になってあのう来る訳ですけども、本当にあのう一生懸命に努めさして頂こうと思いながらも、何か心がちぐはぐな時は、お夢にでもあのう本当にちぐはぐなお夢しか頂きませんけれども。
本当に心が一生懸命のあのう燃えている時には、確かにお夢の中にも精進させずにおけないおかない、改めさせずにはおけないおかない生かさずにはおかない、そういうお夢をあのう頂きます。本当にそう言う事を思わして頂きましても、神様如何にあのう人力の限りを尽くして、人力に見切りをつけて神力に縋ってくれという、あのう願っておられるのかという事を、あのう感ずるわけですけれども。そしてあのう報恩徳に報いると言う事は、本当にあのう人力の限りを尽くして尚且つ。
それでも尽くしきれないところを神力に縋って、あのう縋りに行く時にそこに報いる程の働きを、なら現れて来る事だろうと思わせて頂きます。信心は山登りと同じといわれます様に、あのう本当にあのう一段一段登って行かなきゃならない修行な訳ですけれども、最近思わせて頂くのに、あのう合楽理念ちゅうか本当の合楽理念にもとずければ、特に今私は怖いものがないちゅうか、そのことをあのう感じさして頂いとる訳ですけれど、あのう私たちの修行が本当に神様から受けて下さっておるほどの修行っちゅうか。
そう言うものが現れる程のあのう修行に、一年一年なって行かなければいけないと思うんですけども、それを思わせて頂く時に先日私の学院の同期生で、今ここで修行さして頂いてるあのう、郷荘から参りました岩部先生が、本当にあのう一年間の修行の御礼を親先生にお届けされた時に、ちょうど120番目のお届け調の120番目にあのう、御礼のお届けであったそうです。その120番目と言うところに、まぁ修行生がそれでも修行の御礼に行った時に来ると言う事は。
神様が受けて下さってる事につながってる訳ですけれども、そういったもう確かに神様が受けて下さってあるちゅう事を、感じさせずにはおかない様な働きを受けての、私たちの修行でなけりゃならん、なら私は果たして一年振り返ってみてどうだったのかといえば、そう言うものを感じる程のものを、あのう頂いておるのかといえば本当に相済まない限りでしかありません。そう言った中にもやはりあのう自分が精進の心を持って、進んできさえすれば本当に確かな。神様受けて下さっているとしか思われない働きを。
あのういろんな中にも一日の御理解の中にも、今思えばこうして修行はあのう今思えば人に知れずに、ひとかいせつしている修行はこうやって神様は受けているぞと言う事を、感じさして下さる様なあのう御理解をあのう本当に精進の心に燃えてあのうさして頂いた時には、ピリと感じる様な御理解を頂く訳です。そういった意味においても、本当にあのう人力に見切りをつける。つけるほどの修行と言うのはやはりあのう秘かに修行しめてる中に現れて来るものだろうと言う事も、あのう思わして頂いとります。
あのう4年もう修行に入らして貰って、まぁ来年であのう4年目になる訳ですけれども。本当に恩に報いる程の私にとっては、本当に親先生の恩に一日日々日々が報いさして程の、報いさして頂く程のものだけなければ、ならないと思う訳ですけれども。本当にあのう今合楽が世界に飛躍しようとしております。そうした中で私達修行生うかうかは出来ないと思います。して何よりも世界に飛躍する合楽の修行生として、恥ずかしくない又本当に堂々と世界に打って出れる程の光といいますか。
実意と助かりを頂いて。それを世界に広げて行くほどの私自身に、おかげ頂かなければならないそういう思いを切に今抱いてます。本当にあのう親先生の日々の御教えを元に、己をなくすと言うかもうそこに本当信心は尽きると思います。様々な所の働きの中で様々なかべにぶっつかりながら神様願われると言う事は、自分をなくせよ自分をむなしゅうせよという事にあのう尽きると思います。
またその本当に自分を捨てて、まぁ私は一番願わして頂いてますのは、本当にあのう死んだ機で精進する心だけはお育て下さい。何もいりません死んだ気で精進する心一つをお育て下さいと言う事を、日々その事だけしか願わない位に、あのう神様にゃ願わして頂いてますけれども。本当にあのう自分が出よう出よう、自分を出そうと出そうとするばっかりの私です。
本当にそう言った中で、そういう壁にぶっつかればぶっつかる程、むなしゅうせよむなしゅうせよという、あのう神様の働きと言うか思いを感じずにはおりません。そしてその思いに応えさして頂くの意味においても、本当にあのう自分をむなしゅうして。神様の願いに来てえれる様な、また今地下にようようとしている合楽の、その信心を頂き切って親先生の御恩に報いるような、私にならして頂きたいと思います。
どうも有り難うございました。